(休職→復職シリーズ 第3話)
結論から言います。休職の初めは、何もしないのが正解です。
「休んでいるのに、何もできていない」。そう自分を責める必要はありません。何もできないのは、あなたが弱いからではなく、それだけ休みが必要なだけです。
第1話では休職を決めるまで、第2話ではお金の話を書きました。まだの方はこちらからどうぞ。
▶ 休職したらお金はどうなる?傷病手当金でいくら入ったかを正直に書く
この記事では、半年の休職を私がどう過ごしたかを正直に書きます。何もできない日々にどう折り合いをつけたか。焦りとどう付き合ったか。読み終えたとき、いまのあなたの過ごし方が「これでいいんだ」と思えたら嬉しいです。
先に一つだけ。回復のスピードには個人差があります。この記事は私一人の体験です。あなたのペースはあなたのもので、私と同じである必要はまったくありません。
まず、何もしないでいい ―「回復のための休み」という考え方
もう一度言います。休職の初めは、何もしなくていいんです。
真面目に働いてきた人ほど、これができません。休みの日でも「何かしなきゃ」と体が動いてしまう。その癖こそが、いちばん休ませるべきものです。
休職は、ごほうびの休みではありません。回復のための休みです。骨を折ったら、まず固定して動かさないですよね。心も同じです。動かさない時間が、治るために要ります。
私も最初はそれが分かりませんでした。休みに入った初日、時間だけがたっぷりあるのに、何をしていいか分からない。
朝起きても、やることが浮かびません。私がしていたのは、動画を見ることだけでした。U-NEXT(月額制の動画配信サービス)を開き、映画やドラマをただ眺める。気づけば夕方になっていました。
いま思えば、それでよかったんです。動画で一日が終わる。それは怠けではなく、あのときの私にできる精一杯でした。子どもたちが帰ってくると、簡単な家のことだけはする。動けるのは、それくらいでした。
いま振り返ると、あの「何もしない時間」が回復の土台でした。動けなかったんじゃない。動かないことが、あのとき必要な仕事だったんです。
「何もできない自分」を責めていた ―罪悪感の正体
正直に書きます。休職中、いちばん苦しかったのは症状そのものではありませんでした。何もできない自分を責める気持ちでした。
平日の昼間、家にいる。世の中の人は働いているのに、自分だけ家でぼんやりしている。その事実が、じわじわと後ろめたさになっていきました。
いちばんこたえたのは、家族のお見送りができないことでした。玄関で送り出したいのに、それすらできない朝がありました。
外を歩く人の姿も、胸に刺さりました。スーツを着て駅へ向かう人を見ると、「自分もああやって仕事に行きたかった」と思うんです。ほんの少し前まで、当たり前にやっていたことでした。それが、まぶしく見えました。
この罪悪感の正体は、あとになって分かりました。「働いていない自分には価値がない」という思い込みです。
でも、これは間違いです。いまは治療の期間です。骨折した人が「歩けない自分には価値がない」とは思わないはずです。心が折れて休んでいるあなたも、まったく同じです。
働いていないから価値がないのではありません。いまは治すことが、あなたの仕事なんです。
回復は一直線じゃない ―休職初期・中期・後期でこう変わった
ここがこの記事の背骨です。覚えておいてほしいことが一つあります。
回復は、坂道をまっすぐ登るようには進みません。良くなったと思ったら、また戻る。その繰り返しです。
先に念を押します。これから書くのは私一人の進み方です。回復のスピードも順番も、人によってまるで違います。あなたが私より遅くても早くても、何の問題もありません。自分のペースを、誰かと比べないでください。
私の半年を、大まかに初期・中期・後期の3つに分けて書きます。
初期。 動けたことと、まったくできなかったことが、はっきり分かれていました。
できていたのは、生活のリズムです。朝起きて、夜に眠る。この基本だけは保てていました。家でYouTubeを見ながら、軽い筋トレをする日もありました。
一方で、どうしてもできなかったのが、食べることでした。最初の1週間は、ご飯がまったく喉を通りません。一口食べると、それだけでお腹いっぱいになる。食べたいのに、食べられない。本当に辛かったです。
動けることと動けないことが、こんなふうにでこぼこに混ざる。それが普通なんだと、いまは思います。
中期。 少しずつ、体が動く日が出てきました。
はっきり「良くなった」と分かる瞬間があったわけではありません。気づいたら、前より動ける日が増えていた。そんな緩やかな変化でした。ただし一直線ではなく、動ける日の翌日にまた沈む、を繰り返しながらです。
中期に入ると、「外に出る練習」を少しずつ始めました。最初は近所の散歩だけ。慣れてきたら、図書館まで足を延ばして、本を読んで帰る。
外に出ると本当に気持ちがすっきりしました。日の光を浴びて、少し歩く。それだけで、心が軽くなる日があったんです。外に出られない日もありましたが、行けた日のこの感覚が、次の一歩を支えてくれました。
後期。 ふと、復職が頭に浮かぶようになりました。
きっかけのひとつは、お金でした。第2話で書いたとおり、我が家は生活防衛費のおかげで、暮らしそのものは守れました。それでも、「自分の給料で家族を支えたい」「早く家族を安定させたい」という思いは、消えずに残っていました。
そしてもうひとつ、もっと深いところにあった気持ちに気づきました。仕事をして、社会に認められている自分。私はそれを、ずっと大事にしてきたんです。
さっき「働いていない=価値がない、は思い込みだ」と書きました。それは本当です。でも同時に、働いて社会とつながっている自分が好きだったのも、本当でした。この気持ちは、休みの前半は私を責める側にいました。それが後期には、「社会に戻れたら、自分はもう大丈夫だと思える」という、前を向く力に変わっていったんです。
復職は、それを確かめにいく場所でもありました。
3つの時期を通して言えるのは、良くなったり戻ったりを何度も繰り返した、ということです。戻った日に「やっぱりダメだ」と落ち込む必要はありません。揺れながら、全体としては少しずつ回復していく。それが普通です。
焦りとの折り合い ―「早く戻らなきゃ」をどう手放したか
中期を過ぎると、新しい敵が出てきます。焦りです。
少し動けるようになると、今度は「早く戻らなきゃ」という気持ちが湧いてきます。休んでいる後ろめたさと、周りへの申し訳なさが、背中を押してくるんです。
でも、この焦りは危険でもあります。焦って先走ると、まだ治っていない心に無理をさせて、また揺り戻す。私も、動ける日が増えたとたんに「もう大丈夫かも」と前のめりになって、翌週に沈んだことがありました。
ややこしいのは、焦り自体は悪者じゃないことです。焦りが出てきたのは、回復して前を向き始めたサインでもあります。だから焦りは、消そうとしなくていい。ただ、その勢いのまま突っ走らないことが大事です。
私を現実につなぎ止めてくれたのは、休職中に2週間に一度あった上司との面談でした。会社との、細い糸のようなものです。中身は書きませんが、この定期的な接点があったおかげで、自分が完全に切り離されたわけではないと思えました。焦って独りで突っ走らずに済んだのは、この糸があったからです。
もうひとつ支えになったのが、オンラインで心の専門家に相談する時間でした。いまの自分の状態を話すだけで、頭のなかが少し整理されました。
そこで握りしめた言葉があります。
なってしまったものは変えられない。だから、ゆっくり休んで、今できることを一つ一つやろう。
焦って先を急いでも、回復は早まりません。いまの自分を受け入れて、目の前のことを一つずつやる。そう思えたとき、焦りは少しずつ手からこぼれていきました。
焦りとの折り合いで学んだのは、こういうことです。回復は自分の意志では早められない。でも、無理をすれば簡単に遅らせられる。だからやることは一つ、無理をしないことだけでした。
復職は、遠くの駅 ―休職中の私を支えた考え方
最後に、半年を通して私を支えた考え方を書きます。
鉄道にたとえます。車庫で停まっている車両は、サボっているわけではありません。次の運行に向けて、点検や整備をしています。停まっている時間も、ちゃんと仕事の一部なんです。
休職も同じです。あなたはいま、車庫で整備を受けている車両です。動いていないように見えて、次に走るための準備をしている。休むことは、前に進むことの一部です。
復職は、遠くの駅のようなものでした。休職の初めは、ホームの明かりすら見えません。でも線路は続いていて、整備が終われば、車両はまた動き出します。焦って車庫から飛び出す必要はありません。
もしいま、何もできない自分を責めているなら、今日ひとつだけやってみてください。
今日できたことを、どんなに小さくても1つ書き出す。
朝起きられた。ごはんを食べた。歯をみがいた。なんでもいいんです。「できなかったこと」ではなく「できたこと」に目を向ける。この向きを変えるだけで、責める気持ちは少し軽くなります。
次の第4話では、いよいよ復職の話を書きます。戻るのが怖い、また折れるんじゃないか。その恐怖とどう向き合って、フル復職までたどり着いたか。正直に書きます。
▶ 第4話:「また折れるかも」を抱えたまま。駅員に戻った私の復職のリアル
今日はここまで。ここまで読んでくださって、ありがとうございます。あなたが自分を責める夜が、少しでも減りますように。出発進行!」
回復のプロセスには個人差があります。過ごし方は必ず主治医の指示に従ってください。

