「また折れるかも」を抱えたまま 駅員に戻った私の復職のリアル

休職と復職

(休職→復職シリーズ 第4話・完結編)

結論から言います。怖さが消えてから戻る必要はありません。「また折れるかも」を抱えたまま、戻っていいんです。

私は半年休んで復職し、そのあと自分の希望で、駅員として現場に移りました。戻る前の夜は、正直こわくてたまりませんでした。その恐怖は、フル復職した今も完全には消えていません。それでも働けています。

第1話から第3話まで、休職を決めるまで・お金のこと・半年の過ごし方を書いてきました。まだの方はこちらからどうぞ。

仕事で心が折れた。鉄道員の私が半年の休職を決めるまで
休職したらお金はどうなる?傷病手当金でいくら入ったかを正直に書く
休職中、何もできない自分を責めていた。半年間の過ごし方を正直に書く

この記事では、復職の怖さとどう向き合ったかを正直に書きます。何が怖かったか。どんな戻り方をしたか。戻ってからまた沈んだ日に何をしたか。そして今どこにいるか。シリーズの完結編です。

先に一つだけ。復職のペースにも個人差があります。この記事は私一人の体験です。あなたの戻り方は、私と同じである必要はまったくありません。

「復職が怖い」の正体は、3つに分けられる

まず、その怖さを分解しましょう。正体の分からない怖さは、いちばん大きく見えます。

第1話で、休む前の私を縛っていた「3つの怖い」を書きました。お金・戻れるか・家族。復職前の私を縛っていたのも、やはり3つでした。

  • また折れるんじゃないか(再発の不安)
  • もう自分の居場所はないんじゃないか(ブランクと周りの目)
  • 前のように働けるんだろうか(自信の喪失)

この3つは、どれも「まだ起きていないこと」への不安です。頭の中だけで膨らんでいく。だから夜がいちばんつらい。

私の場合、いちばん強かったのは「居場所」でした。怖かったのは、職場の人からどう見られているか。「この人は……」と、どこか後ろめたい目で見られている気がして、それがとても気になったんです。そして、その職場に自分の居場所は本当にあるのか。そこがいちばん不安でした。

いきなりフル復職しなくていい ―「ならし運転」という戻り方

ここが大事です。復職は、いきなり元の勤務に戻るものではありません。

多くの会社に「リハビリ出勤」や「短時間勤務からの慣らし」という仕組みがあります。最初は短い時間・少ない日数から始めて、体を仕事に慣らしていく戻り方です。休んでいた心と体を、いきなり全開の勤務に戻さない。鉄道でいう「ならし運転」に近い考え方です。

そしてこれは、自分ひとりで決めるものではありません。主治医(治療してくれるお医者さん)、産業医(会社の健康を診る医師)、会社の三者で、戻れる状態かどうかを確かめながら決めていきます。焦って「もう大丈夫です」と自分だけで前のめりに決めない。ここは第3話で書いた「焦りとの付き合い方」と地続きです。

私は、休み始めてから2か月ほどで復職訓練を始めました。いきなり職場に戻ったわけではありません。刻んだ段階は、こんな順番でした。

  • まずは週2回ほど、職場の近くのカフェで1時間くらい過ごす。それだけ
  • 慣れてきたら、時間を少しずつ増やしていく
  • 次に、職場のビルに入る訓練を数か月続ける
  • ビルに入れるようになったら、実際に職場のスペースに座って、ただ時間を過ごす

職場の席に座ってやっていたのは、仕事ではありません。「今の自分がどうなっているか」を、自分と相談する時間でした。ここまで来られるか、まだしんどいか。自分の状態を、その場で確かめていたんです。

この訓練のあいだ、私はずっと上司と話し合いを続けていました。自分が今どう感じているかを、包み隠さず話す。良く見せようとしない。この「隠さず話す」が、遠回りに見えていちばんの近道でした。

復職してからでも、働く場所は選び直していい

私は最初、休む前にいた企画の部署に戻りました。そこで約半年働いたあと、自分から希望して、駅員として現場に移りました。

伝えたいのは、これです。復職は「元どおりに戻って終わり」ではありません。戻ったあとでも、自分の置き場所は考え直していいんです。

正直に言うと、私ももともとは「元の部署に戻るのが復職のゴール」だと思っていました。でも実際に企画の部署で働いてみて、考えが変わりました。自分がいちばん力を出せる場所は、ここじゃないかもしれない、と。

私はもともと、駅員になりたくてこの会社に入りました。だから復職して半年ほど経ったころ、駅に移してほしいと、自分からお願いしたんです。会社に決められたのではありません。自分で選んで、原点に戻りました。

企画部門でも、多くのことを学びました。その経験に後悔はありません。むしろ逆で、企画を経験したからこそ、駅に戻っていろいろなことに挑戦したり、実験したりできると思えたんです。現場へ移るのは、後退ではありませんでした。学んできたことを試しに、もう一度立てる場所へ行く。私にとってはそういう選択でした。

戻ってからまた沈んだ日 ―再発の不安とどう付き合ったか

正直に書きます。復職はゴールではありませんでした。戻ってから、また沈んだ日があります。

第3話で「回復は一直線じゃない」と書きました。これは復職した後も同じでした。良い日が続いたと思ったら、ある日また気持ちが落ちる。そのたびに「やっぱりまた折れるのかもしれない」という、あの怖さが顔を出しました。

でも、休む前とは一つだけ違うことがありました。今の私は、サインの見つけ方を知っています。眠れない、食べられない、朝が重い。これは第1話で書いた、あの小さなサインです。同じサインが出たら、今度は見て見ぬふりをしない。早めに手を打てるようになりました。

正直に言うと、復職してからも何度も沈みました。一度戻ったからといって、まっすぐ上がっていくわけではないんです。

そのなかで私が大切にしたのは、自分の優先順位を決めることでした。私にとっていちばん大事なのは、家族との時間です。だから、そこを最優先にしました。仕事を家庭より上に置かない、と決めたんです。

もうひとつは、仕事を全部自分で抱えないこと。なるべく他の人にお願いして、自分の役割を少しずつ減らしていきました。以前の私なら「自分がやらなきゃ」と全部背負っていました。それをやめた。抱える量を減らすことが、また折れないための守りになりました。

フル復職、そして後輩を指導する今 ―たどり着いた場所

今、私はフル復職しています。そして、後輩の指導もしています。

はっきり書いておきたいのは、「怖さが消えたから戻れた」のではないことです。怖さは、今も心のどこかにあります。変わったのは、その怖さと付き合えるようになったことです。抱えたまま、働けるようになった。

駅に移ってから、自分の感覚では1年ほど経ったころに、ようやく「もう大丈夫かな」と思えました。復職した瞬間に大丈夫になったわけではありません。企画の部署での半年も、駅に移ってからの日々も、時間をかけて少しずつです。

後輩の指導のしかたも変わりました。以前の私は、手取り足取り全部教えていました。今は、最初に概要だけ伝えて、あとは実際にやってもらう。そこで出てきたことを指導する。この形に変えたんです。全部自分でやっていたら、自分も大変だし、相手の成長にもつながりません。

これは仕事全体に対する考え方が変わったからだと思います。自分だからできることを選び、やらなくていいものは徹底的にやらない。もしくは、人にお願いする。休職の前は、この線引きができませんでした。

復職が怖いあなたへ ―線路は、また動き出す

最後に、このシリーズ全体をひとことずつ振り返ります。

  • 第1話:心が折れたら、休んでいい。休むのは逃げじゃない
  • 第2話:休んでもお金は入る。制度は、安心して休むためにある
  • 第3話:休職の初めは、何もしないのが回復の土台になる
  • 第4話:復職は怖くて当たり前。怖さは、抱えたまま戻っていい

もう一度、鉄道でたとえます。車庫で整備を終えた車両は、いきなり全速力では走りません。ゆっくり動き出して、少しずつ速度を上げていきます。あなたの復職も同じでいい。怖さを積んだまま、ゆっくり動き出せばいいんです。

もしいま、復職が怖くて眠れないなら、今日ひとつだけやってみてください。

その怖さが「再発・居場所・自信」のどれなのか、1つだけ紙に書き出す。

3つ全部でも構いません。頭の中で膨らんでいる怖さを、外に出して形にする。それだけで、正体の見えなかった不安が、少し扱いやすくなります。第1話で書いた「サインを書き出す」と、やることは同じです。

最後に、あのとき復職が怖かった自分に、今なら伝えたいことがあります。

自分の人生にとって何が大事かを、しっかり考えること。前に進むだけじゃない。一度立ち止まって考えて、方向性を定めることが、どれだけ大事か。そして——休めるときは、休もう。

休職は、脱線ではありませんでした。立ち止まって、進む方向を定め直すための、停車でした。あなたの線路も、ちゃんと続いています。

今日はここまで。このシリーズが、あなたの怖い夜に、少しだけ寄り添えていますように。

出発進行!


休職→復職シリーズ(全4話)


復職の可否やタイミングの判断は、必ず主治医・産業医の指示に従ってください。回復にも復職にも個人差があります。この記事は筆者一人の体験であり、特定の戻り方をすすめるものではありません。

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